地震ニュース
日本地震前兆現象観測ネットワーク 4030 '17 11/20
①『本日の地震1回』
20日22時18分 浦河沖 M4.1 震度2
②『天秤棒』
22hpa、14hpa、16hpa、22hpaの気圧配置。
トリガーは、中部日本から。
尚、トリガーが北海道迄保持された場合は注意級~警戒級になる。
③『本日のEs』
無。
④『19日の活動度指数』
再び、無黒点
f10.7は74
地磁気K指数合計は6、最大1
⑤『篠原情報(11/20 11:59)』
太陽風の速度は、360kmへ下がり、低速風に変わっています。
#2687が見えなくなり、無黒点でX線グラフも静かです。
⑥『旧号、潜水艦事情』
まやかしの非核3原則、無数の核が日本領海を通る、“救いがたき”潜水艦事情、潜水できない潜水艦等関連。
⑦『参考。空母の核爆弾の移動』
発射には大統領命令、多重ロック解除等で時間はかかるが運搬は簡単だ。
今回の亜歴訪で大統領命令用の黒カバンにはノー天気のマスコミは言及していなかった。
私の鋭い眼光は、この鞄を大事そうに持ち運ぶ側近を一瞬、テレビが映していたのを見逃さなかった。
何処へ行くにも大統領は発射ボタンの黒カバンを絶対に手放さない。
トランプ大統領は今回の訪日前に北に対して直ぐ対応できるように念入りにフットボールをこねくりまわしていたのである。
大統領の側には、いつも黒い鞄があるのだ。
別名「フットボール」と呼ばれている。
さて、空母内の移動だが、垂直移動は高速エレベーターによってアッと云う間に甲板へ運ばれ待機している航空機に直ちに搭載され、直ぐ出動が可能だ。
ところが積み下ろしの移動は、水平移動だ。
考えただけでも狭い艦内をエッチら、おっちらと、多重に格納された重い代物を出口まで運搬しなければならない。
軽いのならエイッと肩に担いで階段を上がるのだが…
⑧『続報、アルゼンチン潜水艦、浮上せず』
大西洋で不明の同艦は、天候悪化で捜索が難航している。
⑨『排水ポンプ故障と落下傘』
戦闘機のエンジンが故障した場合には落下傘がある。
然し、ポンプ故障で深く着底した潜水艦の場合には逆落下傘はない。
⑩『第六潜水艇沈没と遺書(ウイキ)より』
第六潜水艇が訓練中に事故を起こし、乗組員14名全員が殉職した。
殉職した乗組員は、ほぼ全員が自身の持ち場を離れず死亡しており、持ち場以外にいた乗組員も潜水艇の修繕に全力を尽くしていた。
佐久間自身は、艇内にガスが充満して死期が迫る中、明治天皇に対して潜水艇の喪失と部下の死を謝罪し、続いてこの事故が潜水艇発展の妨げにならないことを願い、事故原因の分析を記した後、次のような遺言を書いた。 略。
その後、「左ノ諸君ニ宜敷」と斎藤実を初めとする当時の上級幹部・知人の名を記し、12時30分の自身の状態を、そして「12時40分ナリ」と記して絶命した。
佐久間が記した遺書は39頁にも及ぶ長文だった。
沈没した潜水艇が引き上げられた後に発表された同遺書は、当時の国内外で大きな反響を呼んだ。
国外では同様の潜水艇事故の折、脱出しようとした乗組員が出入口に殺到、乗組員同士で互いに殺し合うなどの悲惨な事態が発生していた。
それゆえ、出入口へ殺到せずに最期まで潜水艇を修繕しようとしていた佐久間及び乗組員の姿は大きな感銘を与え、各国から多数の弔電が届いた。
国内では修身の教科書に「沈勇」と題して掲載されていた他、夏目漱石は事故の同年に発表した「文芸とヒロイツク」に於いて、佐久間の遺書とその死について言及していた。
今日でも佐久間の命日には、出身地の福井県で遺徳顕彰祭が行われている。
海上自衛隊音楽隊による演奏や、イギリス大使館付武官によるスピーチが行われている。
⑪『第六潜水艇』
後日、第六潜水艦と改称された。
艦級は改ホランド級で、1906年(明治39年)4月5日竣工。
⑫『イタリア海軍の似たような潜水艦事故』
この事故より先に伊海軍で似たような事故があった際、乗員が脱出用のハッチに折り重なったり、他人より先に脱出しようとして乱闘をしたまま死んでいる醜態を晒していた。
此の為、軍関係者は同様な醜態を心配していた。
ところが、実際には乗員は配置についたまま殉職、更に佐久間艇長は事故原因や潜水艦の将来、乗員遺族への配慮に関する遺書を認めていた為、これが「潜水艦乗組員かくあるべし」「沈勇」ということで、修身の教科書や軍歌として広く取り上げられた。
これが広く伝わると、海外でも大いに評価された。
米議会議事堂には遺書の写しが陳列された他、感動したルーズベルト大統領によって国立図書館の前に遺言を刻んだ銅版が設置され、日米開戦後も撤去されなかった。
英、王室海軍潜水史料館には佐久間と第六潜水艇の説明があり、第二次世界大戦の後も展示され続けている。
或る駐日英大使海軍武官は、戦前から戦後まで英国軍人に尊敬されている日本人として佐久間を挙げ戦後の日本人は「佐久間精神を忘れている」と1986年の岩国追悼式でスピーチした。
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