地震ニュース
日本地震前兆現象観測ネットワーク 5023 '20 11/23
①『本日の地震3回』
23日06時29分 長野県 M2.4 震度2
23日05時33分 豊後水道 M3.5 震度2
23日01時24分 奄美大島近海 M3.0
23日の月齢は7.9、24日の月齢は8.9。
②『Nict イオノ』
赤7(稚内部分的に不明、国分寺1、山川2、沖縄4)
稚内、早朝4時fxが伸び20メガに達していた。注意。
③『TEC』
TECは23日早朝、中高緯度地域で低い状態(丸4)。
④『篠原情報(11/23 10:21)』
南東端から新黒点が現れています。高速太陽風は620kmに達しました。
注目していた黒点は2785黒点群と番号が付けられました。
早速、C1.3、C1.3、C3.3、C1.2と小規模フレアを連続的に起こしています。
⑤『鳥島と尖閣のアホウドリは別種=特別天然記念物、形態比較で―北大など(時事通信 11/20)
伊豆諸島・鳥島に生息する特別天然記念物のアホウドリは、約1700キロ離れた沖縄県・尖閣諸島でも生息が確認されているが、北海道大と山階鳥類研究所の研究チームは、身体の各部位の測定などから、両地域のアホウドリは別種と確認した。論文は19日、ドイツの生物学専門誌に掲載された。
研究チームは尖閣のアホウドリを「センカクアホウドリ」と命名することを提案した。
19世紀末ごろには数百万羽が生息していたアホウドリは、羽毛採取のため大量捕獲され激減。一時絶滅したとされたが、1951年に鳥島で、71年に尖閣諸島で再発見され、現在は約6000羽まで回復した。
両地域のアホウドリは、遺伝子解析などから別種である可能性が指摘されていたが、尖閣諸島での調査は領有権問題の影響で2002年以降行われておらず、不明のままだった。
尖閣タイプのオスのアホウドリ。鳥島タイプに比べ、嘴が細長い(山階鳥類研究所の今野怜さん撮影 略)。
鳥島タイプは尖閣タイプより全体的に体が大きい(山階鳥類研究所の今野美和さん撮影 略)
⑥『尖閣周辺に中国公船、最多283日に 官房長官「極めて深刻」
尖閣諸島周辺の接続水域内の中国公船の航行は連日のように確認されている。航行確認日数は今年に入って計283日となり、2012年の尖閣国有化後で最多だった昨年を上回った。
中国海警局が中央軍事委員会の指揮下に入り、大型船の投入や機関砲の搭載など武装化を続ける。
加藤氏は「極めて深刻に考えており、その都度厳重に抗議している」と述べた。「尖閣諸島は歴史的にも国際法上も疑いのない我が国の固有の領土だ」と強調した。
⑦『再掲、3671号( '16 11/21)』
前略。
10、『CRI(11-21)釣魚島列島帰属考:事実と法理』出版発表会開催』
清華大学の劉江永教授の新著「釣魚島列島帰属考:事実与法理(釣魚島及びその付属島嶼の帰属考:事実と法理を巡って)」の出版発表会が20日、清華大学で行われた。
会場には北京、上海、湖北、福建から研究者や関連機構の責任者等りが出席、同作を高く評価した。
本作は、文字にして62万字以上、文献、地図、写真220点以上を収録する大部の作品で、中国、ヨーロッパ、古代琉球王国、日本の歴史文献と関連地図について夫々、詳細な考証を行い、豊富な証拠を引用、歴史と法理の角度から、釣魚島が古代から中国固有の領土である事を検証している。
胡顕章前中国共産党清華大学委員会副書記は、「同著作は明代以来の640年以上の釣魚島関連の資料を分析し、釣魚島は中国に帰属する有力な証拠を提供した。本書の主な内容は外国でも英語で出版される予定で、世界に史実と中国政府の立場のアピールに積極的貢献をするだろう」と述べた。
高洪中国社会科学院日本研究所所長は、「本書は歴史事実を訂正し、日本側の研究に対する反駁を行うものとなる。作者は史実に基づき、日本政府が1896年釣魚島を沖縄県に勘定した行為を徹底的に否定し、古賀辰四郎氏が1884年に釣魚島を発見したのは虚構だと指摘、日本側が不法に釣魚島を占領する為に作り上げた一連の偽の証拠に根本から反論を加えている」と述べた。
11、『日本は、尖閣の切手があるが、中国は発行していない』
旧号に詳しく書いてある。
前者は、1972年4月14日、祖国復帰直前の沖縄で発行された海洋シリーズ第3集の『海と海鳥と島』という切手。
後者は(1968年11月25日誤発売の「山河は赤一色」で台湾も尖閣も中国の領土になっていない。
再掲。全国の山河は赤一色(1968年11月25日誤発売)
最も高い切手と言われている。中国の地図が赤一色に書かれているが、台湾だけが白く、台湾は中国の領土ではないということを中国政府が暗に認めたと事になり、発売停止となった。関係者は、厳しく処分された。
ごく僅かの一部が誤発売されで、プレミアが付いている。(現在1枚、1000万円以上)
12、『荒んでいく世界からコピさせて貰った』
「荒んでいく世界」
子供達に幸せな未来を残したい…(PC閲覧推奨)
教科書が教えない歴史
幻の尖閣切手 琉球政府郵政庁職員たちの気概の物語
横浜市立中学校教諭 服部 剛
不思議な切手
切手に注目して下さい。
1.何が描かれていますか? 疑問に思うことはありますか?
2.どんな場所ですか?
3.鳥の名前は何だと思いますか?
この切手は、1972年4月14日、祖国復帰直前の沖縄で発行された海洋シリーズ第3集の『海と海鳥と島』という切手。切手にはこの島が何処なのか、海鳥の名前は何なのか全く示されていない。どうしてか。
この島が何処なのか謎だったが、沖縄県石垣市の尖閣諸島を研究する国吉真古氏の聞取り調査によって、尖閣諸島と判明した。
描かれている鳥は「アホウドリ」。アホウドリは伊豆諸島の鳥島と沖縄の尖閣諸島のみ繁殖が確認されている鳥。
沖縄の海でアホウドリが生息する島といえば、尖閣諸島以外にあり得ない。
この琉球切手は、我が国固有の領土である尖閣諸島をテーマにした唯一の切手なのである。
切手の発行は国家の意思を表す。青く美しい海に浮かぶ尖閣諸島。その南小島の切り立った断崖でアホウドリが飛翔し、戯れている姿を描いた「尖閣切手」。この切手は、尖閣諸島が日本の沖縄に属していることを明確に主張している。
尖閣切手は、沖縄の祖国復帰(5月15日)の目前、1972年4月14日に発行された。
琉球政府郵政庁の職員達が、この時期に発行に踏み切った理由は何だったのでしょうか。この切手が日の目を見る間でには、職員立の知られざる苦労とそれをはねのける強い意志が存在した。我が国の領土を守らんとする揺るぎない決心で極秘のプロジェクトを遂行した職員達の気概の物語は割愛。続きは、ネット上で読んで欲しい。
13、『古賀氏については多数の資料がネットでも見ることが出来る』
1897年の本格的な開拓開始以降、当初はアホウドリの羽毛採取が事業の中心だった。このことは、古賀辰四郎氏が久場島の拝借を願い出た官有地拝借御願(1895年6月10日)においても、アホウドリについて中心的に記述している事や、藍綬褒章下賜の件に収録されている11ヶ年の産物採集価格(1897年〜1907年)にも、1897年は鳥毛17,000斤(生産額:6,800円)、1898年は大幅に増え、鳥毛65,000斤(生産額:30,550円)~ 1900年には鳥毛25,000斤に減少し、1897年からの乱獲によって、減少してしまった。
アホウドリの大幅減に伴う鳥毛事業の継続に危機感を持った古賀氏は、東京帝国大学教授の箕作佳吉氏に事情を相談し、同氏は宮嶋幹之助氏に調査を要請、これに沖縄県師範学校教諭の黒岩恒氏が加わり、大阪商船株式会社の所有汽船である永康丸にて1900年5月に尖閣諸島各島の調査を行っている。これらの調査結果は地学雑誌に夫々、発表され古賀氏に対して宮嶋氏・黒岩氏等は、鳥類・魚類の乱獲防止、移住者の為の家屋建設、水源のない久場島での雨水貯水槽の設置他を進言している。
尚、この時に黒岩氏が地学雑誌発表の調査記で、尖閣諸島の各島々に名前はついているものの、一括した名称がない為、便宜上「尖閣列島」と命名、以後、この名称が普及した。
羽毛採取の減少して以降、1904年からは鳥の剥製づくりを推進、1905年からはカツオ節製造を行っている。特にカツオ節製造は、1905年には13,000斤(生産額:7,800円)であったものが、1906年には68,000斤(生産額:44,200円)に急増しており、剥製づくりとカツオ節製造が主力事業になった。
同氏は、尖閣諸島の開拓や海産物事業の功績が認められ、1909年に藍綬褒章を受けるが、この頃が開拓のピークであったと考えられ、魚釣島および久場島に形成された「古賀村」の様子が分かる写真も残されている。
1918年に古賀辰四郎氏が死去、息子の善次氏に事業が継承。しかし、事業は衰退し、終戦(1945年)前には尖閣諸島は再び無人島となった。戦後、古賀村の設備後を利用し、与那国島の人々がカツオ節の半製品製造を時期的に行っていた痕跡がある。割愛。
福建省の漁船遭難に際し手は、全員を救助、手厚いもてなし、漁船修理、無事帰還で当時の政府から感謝状を贈らている。
0コメント