地震ニュース
日本地震前兆現象観測ネットワーク 4173 '18 4/13
①『本日の地震4回』
13日20時59分 千葉県 M2.6
13日17時43分 新潟県 M2.7
13日12時46分 三陸沖 M4.5(最大)
13日10時59分 島根県 M3.9 震度2
②『再掲。10日の警報』
1)高気圧合体
三陸沖で。スケールの大きい合体。
2)カラS
幽霊信号も確認。
定パターンで下記が発生している。
③『検証』
12日03時31分 宮城県沖 M3.9
04時09分 宮城県沖 M4.0 震度2
08時02分 福島県沖 M4.3 震度2 4
20時37分 三陸沖 M4.7 震度2
22時37分 宮城県沖 M4.8 震度3
22時51分 宮城県沖 M3.4
13日12時46分 三陸沖 M4.5(最大)
④『再掲。次なる大地震の備え』
自助、共助、公助は言い古されたが 略。昨日掲載。
⑤『本日のEs』
小オープン。
午前1回だけのワッチ(11mバンド)だが背景ノイズ、雑音の揺らぎ等から出ると確信したのでスイッチを切らずそのまま聴いていた。
やおら、オープン。入感したのは九州方面、「熊本」局の発信エリアだけは確認できた。
程なく、フェードアウトしてしまった。
⑥『NICTデヴェラ情報』
山川(鹿児島)
12日 08:30
無精査。
⑦『NICT 篠原情報(4/13 12:31)』
2704黒点群が発生。太陽風の速度はゆっくりと低下しています。
⑧『その記事……海峡を越えての続き』
歌には「抗日」も「反日」も「親日」ももない。
抗日歌や反日唄がある国は野蛮な非文化国、知的水準の低い発展途上国、国民全音痴国に他ならない。
「世界の歴史はウソばかり(倉山満著、ビジネス社)」には主権国家とすらいえない韓国と書いてあった。
韓国では“抗日・独立のシンボル歌”のイメージが強く、記者会見での「日本人のあなたが…」という反発につながった訳である。
加藤が『鳳仙花』を知ったのは1970年代の後半、知人のギタリスト、原荘介が口ずさんだのを聴いて、忽ち、心を奪われた。韓国のコンサートで「一番大事な歌」と勢い込んでいただけに簡単には引き下がれない。“直談判”に持ち込んだ。
「私がここで歌って、あなた達(韓国記者)がどう感じるか? 正直に聞かせて欲しい。イヤなら歌うのを止めます」と記者会見の場でギターを取り出し、会見用のマイクに向かって歌い始めたのである。
記者達は、じっと耳を傾けて聴いていた。段々、その場の空気が変わってゆく。歌い終わってから「もう少し韓国語の発音を正しく歌って欲しい」と注文がついたが、もはや強い拒否感はない。
「じゃあ、ここで正しい発音を教えて下さい」と加藤が持ちかけると、10人以上の記者が、その場に残って即席のレッスンが始まった…。
洪蘭坡夫人に会ったのはコンサートの直前。高齢で、コンサート会場には行けないという。ならば「直接聴いて欲しい」と、加藤は韓国記者からレッスンを受けた韓国語で『鳳仙花』を歌い始めた。
じっと聴いていた夫人の目から涙がこぼれ、2人は、しっかりと抱き合った。その時、夫人の胸の中に去来したのは、韓国における洪蘭坡への相反する評価ではなかったか。
洪蘭坡が、朝鮮を代表する音楽家の一人であったのは間違いない。『鳳仙花』や、韓国では誰もが知っている童謡『故郷の春』は日本のカラオケにも入っているくらい有名だ。
一方で戦前・戦中、朝鮮独立運動に関わった後、日本の官憲に捕まって転向し、軍歌等をつくって「日帝」に協力したとされ“親日派”のレッテルを貼られてしまう。
加藤はこう思う。「歌い手や音楽家には国籍も立場もあるけど、歌は自由に国境を越えて行くんですよ。誰がどう感じ、どう受け止めようと自由でなければいけない。私の歌も人種も思想もジャンルも関係なく、誰にでも届く歌でありたいと思う。歌い手とか国とかの思惑を越えて歌は、人々のものなんです」
『鳳仙花』が“抗日歌”として人々を支えたにもかかわらず、洪蘭坡へ親日派批判があったことにも驚かされた。
「洪蘭坡は『抗日の歌』を意図してつくった訳じゃない。『鳳仙花』は心に響く美しい歌。歌い継がれているのは歌自体の力なのですよ」
知らされなかったタブー
韓国でのコンサートにはありがたくない“おまけ”がついた。加藤が日本語の歌を歌って“タブー破り”をしてしまったことだ。
韓国で戦後初めて公式に日本語の歌が許可されたのは、それから8年後、1998年、沢知恵が歌ったときだ。
加藤もタブーのことを知っていたが、この時は「ぜひ日本語で歌って欲しい」というオファーがあった。
だが直前になって「許可しない」との通達があったことを主催者が加藤に伝えなかったのである。
予定のプログラム通りに歌って物議を醸してしまった加藤は、「ダメだと知っていたら歌わなかった。或いは『鳳仙花』の記者会見のように直接、お客さんに向かって是非を問いかけたでしょうね。それが私のやり方ですから」
韓国側にも、そうした日本の大衆文化制限を撤廃したいと考えていた人は少なからずいたらしい。
帰国した加藤に韓国のテレビ局から出演のオファーがあり、東京でリハーサルまで行った。だが、放送1週間前に当局からストップがかかり、実現しなかった。それ以来、現在に至るまで加藤は韓国で一度もコンサートをやっていない。
音楽、映画、マンガなど日本の大衆文化は段階的に開放された。だが、現在も地上波でのテレビドラマ、バラエティー番組などは解禁されていない。(文化部 喜多由浩記者)
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